大きめの独り言

わたしの脳みそのはしっこです

心の隙間、お埋めします

人の心の隙間は思ったよりも広い。

 

特に付き合っている男性がいる女性、もしくは結婚している女性はそれが大きい気がする。

 

彼女たちは満たされている。けれど、「スキマ」は満たされているからこそ顕在化すする。

 

隙間には汚いものが入り込む。それは掃除をしていればわかる。

 

広くひらけた畳よりも汚れるのは小さな隙間だ。

 

 

ある日の晩に

言葉は文脈やシーンの中で規定される。さらに言えば受け取り手の心理状態によっても大きく変わる。

 

私は尾崎豊さんの曲が好きだ。一番好きな曲を決めるのは難しいが、その中でも「僕が僕であるために」という曲が好きだ。

 

この曲の中で「優しさを口にすれば、人は皆傷ついていく」という一節がある。この傷ついていく人は誰なのだろうか。口にした本人なのだろうか。それとも口にされた第二者なのだろうか。

 

いつだったか少し長く人と話をした。その人との人間関係は深いものではなかった。その日まで少ししか話したことはなかった。しかしある日を境に関係が大きく変わった。

 

私はその人に最大限の優しさを込めた話をしたつもりだった。でもその人は泣いていた。私の言葉はその人の心の隙間に入り込み、その人が自覚できていような小さな傷を抉り傷口を広げてしまったのだ。

 

私の言葉がその人の傷つけていると感じた時、私の心にも悲しさが広がった。

 

私は今まで、優しさを口にして傷つくのは言葉を発せられた人間だと思っていた。でもそれは少し違った。言葉が意図せず相手の傷口を抉った時、お互いに傷つくこともある。

 

人の心は複雑だ。昨日ふと思い出した昔の思い出話だ。特にきっかけがあったわけではない。

 

ちょっと後味の悪い後日談

こちらは下の記事の後日談です。ぜひこちらを先にお読みください。

 

kiky0625.hatenablog.com

 

後日談を語る上で宮下なつ江先生の話をしなければならないだろう。宮下なつ江先生はいわゆる占師だ。ただ占師とは言ってもメディア露出は殆どない。実際は数え切れないほど取材の依頼があったようだったがすべて断っていたようだ。地元では「なっちゃんのおばさん」と呼ばれていた。私達家族もよくなっちゃんのおばさんにはお世話になっていた。

 

なっちゃんのおばさんは占いをしてくれる。でもお金はとらない。巷でよくいる占師のような料金設定などなにもないのだ。占いが終わって料金を聞くと気持ちだけおいていってくれと言われる。地元の人は1000円くらいおいていく人が多かった。

 

なっちゃんのおばさんに関する話で印象に残っている話を一つだけ書こうと思う。

 

私の祖父には仲の良い兄がいた。私にとっては大おじさんに当たる方だ。私は大おじさんの事を親しみを込めて「山のおっちゃん」と呼んでいた。

 

山のおっちゃんには奥さんが居た。奥様は私が物心ついた頃にはなくなっていた。死因は自殺であった。

 

奥様は精神的に不安定で、その日家の中で起きた大きなトラブルが決定打となって家を飛び出し、行方不明になった。

親戚一同で探したものの見つからず、翌日になっちゃんのおばさんに行方を聞きに行った。おばさんは「山の中には居ないし、水の中にも居ない。でもこの世には居ない」と言った。その数時間後に警察から連絡があった。おばさんは警察の遺体安置所に居た。

 

話を少し戻そうかと思う。私達の家族は嫌なことがあるとなっちゃんのおばさんに話を聞きに行く事が多かった。前回の記事で書いた事故があった後も同様に後味の悪さを感じていたため、なっちゃんのおばさんに話を聞きに行った。

 

いつものように渡された紙に名前と生年月日を書くとおばさんは霊視?を始めた。霊視を始めてすぐにおばさんは答えてくれた。

「事故が起こった日、二人の仏さまが母の車に乗っていた。その二人は事故で亡くなった人の事が大好きで、自分たちの世界にバイクの運転手を連れて行こうとしていた。私のチャイルドシートと二人の仏様が車に乗っていたので、曾祖母の席が無かった。だから事故の日、曾祖母は車に乗れなかった。」

 

もちろん、この話は検証することはできないし本当のところは分からない。でもただ一つ奇妙な偶然の積み重ねで事故が起こった事は事実だ。

 

私はこの話を聞いてから偶然の積み重ねはなにか私達が計測できないものに支配されているのかと思うことがある。人間が万物のすべてを理解しているなどと考える事は傲慢だ。そして自分が知らない・説明ができない世界がそこにあると考えるのも人生を楽しむ一つの材料にはなるのではないか。

二日酔いとオフィスと静寂と

今日は私の最終出勤日だ。明日から有給で次の会社で働くまで二週間程度はお休みだ。ほとんどの社員はテレワークを実施しており、オフィスは閑散としている。

 

そんな最終出勤日、今はひどい二日酔いに悩まされている。

 

ここまでひどい二日酔いはいつぶりであろうか。思えばコロナ禍が始まってから深酒をする機会はほとんどなくなった。

 

怒られそうな話ではあるが週末から三日間連続で友人たちと酒を飲んだ。コロナ禍でテレワークが本格的に導入されて以降、物理的な距離を気にすることはなくなった。実際にzoomなどの利用が広がり良い意味でも悪い意味でも人との距離は平等になったような気がする。

 

それでも直接人と会うというのは格別の体験だ。それは話の内容とかそういったことより、そこでの共通の体験に意味があるのではないかと思う。

 

吐き気からくるゲップは昨日のジョニーウォーカーの香りを思い出させる。

偶然の積み重ねは本当に偶然なのか

世の中で偶然というものが存在するのか疑問に思うことはあるだろうか。交通事故で人がなくなるというのは日々のニュースを見ていればしょっちゅう起こる。幼稚園児の列に車が突っ込むという悲惨な事故も数年に一回は見ているような気もする。

 

これは本当に偶然なのだろうか。例えば幼稚園児が一人、出かける前にトイレに行くようなことがあればタイミングがずれて事故には合わなかったかもしれない。そんな小さなできごと一つで運命は大きく変わる。

 

私は幽霊を信じているわけではない。大学は工学部で化学工学で修士号も持っている。一見すればそういったものと最も離れている人間の一人のはずだ。それでも「科学の外側」の世界は存在するかもしれないと感じることはある。

 

これは私が物心がつく前、車に乗るのにチャイルドシートが必要だった頃の話だ。

 

私の母は死亡事故を起こしている。母の車の目の前で転倒した自動二輪の運転手をひいてしまったのだ。なくなった方には申し訳ないが母の過失割合は0であったことは不幸中の幸いであった。

 

当時私は父・母・私の3人家族で小さなアパートで暮らしていた。祖父母とは別で暮らしていたが祖父母の家はアパートに近かったため、平日の昼間は基本的に祖父母の家で過ごすのが日常であった。

 

その日も私は母と祖父母の家で過ごしていた。当時はまだ私の曾祖母が生きており、曾祖母はよく母の実家に遊びに来ていた。私は初のひ孫ということもあり、曾祖母は私をとても可愛がってくれた。

 

曾祖母は自分の家に帰る時、私の母親が家まで車で送るのが日常であった。しかしその日は様子が違っていた。かたくなに車に乗りたがらなかったのだ。曾祖母の家は徒歩で10分ほどの距離のところにあったため、特に気にせずその日は徒歩で帰宅してもらうことになった。そしてその日、アパートに帰る道すがら死亡事故が起こった。

 

もしこの日、いつものように曾祖母を車で送っていなければ死亡事故は起こらなかったはずだ。にも関わらずその日に限って曾祖母が車に乗りたがらない。これは本当に偶然なのだろうか。しかも後に判明することなのだがバイク事故の相手は白バイの運転手であった。たまたま休暇中でプライベートでツーリングに来ており事故にあった。白バイの運転手のような運転技術の高い人間が雨の日でもないような日に普通の道で転倒することがあるのだろうか。そしてたまたま曾祖母を送らなかった私の母の車の目の前で転倒して車にひかれるなどということを偶然で片付けるのは少し気持ちが悪くはないだろうか。

 

そしてもう一つ後に分かることがあった。事故で死亡した男性は親戚付き合いは無かったものの私たちの遠い親戚であった。

 

この出来事は母からの伝聞だ。記憶をたどりに書いているので細部は間違っているかもしれない。そしてこの話にはちょっとした後日談がある

kiky0625.hatenablog.com

良い週末だった

緊急事態宣言が実施されている中で怒られそうな話ではあるが楽しい週末だった。土曜日は学生時代からの友人の家で昼間から焼肉をごちそうになり、日曜も真昼間から私の部屋でメキシコ料理を食べながら友人とダラダラと飲んでいた。

 

なぜこうなったかといえば、今月末に自分が京都から東京に引っ越すことが決まったからだ。私は現在京都に住んでいる。京都に住みたいという理由だけで今の会社に中途入社し二年が過ぎた。二年前に京都に来た時は一生京都で暮らそうかと思っていた。

 

でもそう上手くはいかないのが人生だ。自分のキャリアと京都に住みたいという自分のエゴを天秤にかけたとき、自分のキャリアを取らざるを得なかった。

 

二年も住めばそれなりに自分が所属するコミュニティが形成され人間関係は深くなっていく。京都という土地柄からか東京に住んでいたころよりも人間関係は濃密なものであったと思う。それは京都という町がコンパクトで物理的な距離が小さいことが大きいかもしれない。実際人間関係が深い友人たちが住んでいるのは徒歩圏内だ。

 

自分が二年前に京都に来たとき、既存の人間関係をほとんど切り捨てた。別にLINEをブロックしたり番号を着信拒否したわけではない。ただ意図的に連絡することを控え徐々に築いた関係を希薄なものにしていった。それでも京都で新しい人間関係を築いたのは結局人間は他者との関係の中で規定されるからだと思う。

 

そんなことを考えていたら日付が変わっていた。今日は久しぶりの出社だ。コロナ禍が始まってからほとんどの社員が在宅勤務しているためオフィスはおそらく閑散としてるだろう。私はそんな静寂に包まれたオフィスで自分のデスクを片付ける予定だ。