大きめの独り言

わたしの脳みそのはしっこです

偶然の積み重ねは本当に偶然なのか

世の中で偶然というものが存在するのか疑問に思うことはあるだろうか。交通事故で人がなくなるというのは日々のニュースを見ていればしょっちゅう起こる。幼稚園児の列に車が突っ込むという悲惨な事故も数年に一回は見ているような気もする。

 

これは本当に偶然なのだろうか。例えば幼稚園児が一人、出かける前にトイレに行くようなことがあればタイミングがずれて事故には合わなかったかもしれない。そんな小さなできごと一つで運命は大きく変わる。

 

私は幽霊を信じているわけではない。大学は工学部で化学工学で修士号も持っている。一見すればそういったものと最も離れている人間の一人のはずだ。それでも「科学の外側」の世界は存在するかもしれないと感じることはある。

 

これは私が物心がつく前、車に乗るのにチャイルドシートが必要だった頃の話だ。

 

私の母は死亡事故を起こしている。母の車の目の前で転倒した自動二輪の運転手をひいてしまったのだ。なくなった方には申し訳ないが母の過失割合は0であったことは不幸中の幸いであった。

 

当時私は父・母・私の3人家族で小さなアパートで暮らしていた。祖父母とは別で暮らしていたが祖父母の家はアパートに近かったため、平日の昼間は基本的に祖父母の家で過ごすのが日常であった。

 

その日も私は母と祖父母の家で過ごしていた。当時はまだ私の曾祖母が生きており、曾祖母はよく母の実家に遊びに来ていた。私は初のひ孫ということもあり、曾祖母は私をとても可愛がってくれた。

 

曾祖母は自分の家に帰る時、私の母親が家まで車で送るのが日常であった。しかしその日は様子が違っていた。かたくなに車に乗りたがらなかったのだ。曾祖母の家は徒歩で10分ほどの距離のところにあったため、特に気にせずその日は徒歩で帰宅してもらうことになった。そしてその日、アパートに帰る道すがら死亡事故が起こった。

 

もしこの日、いつものように曾祖母を車で送っていなければ死亡事故は起こらなかったはずだ。にも関わらずその日に限って曾祖母が車に乗りたがらない。これは本当に偶然なのだろうか。しかも後に判明することなのだがバイク事故の相手は白バイの運転手であった。たまたま休暇中でプライベートでツーリングに来ており事故にあった。白バイの運転手のような運転技術の高い人間が雨の日でもないような日に普通の道で転倒することがあるのだろうか。そしてたまたま曾祖母を送らなかった私の母の車の目の前で転倒して車にひかれるなどということを偶然で片付けるのは少し気持ちが悪くはないだろうか。

 

そしてもう一つ後に分かることがあった。事故で死亡した男性は親戚付き合いは無かったものの私たちの遠い親戚であった。

 

この出来事は母からの伝聞だ。記憶をたどりに書いているので細部は間違っているかもしれない。そしてこの話にはちょっとした後日談がある

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