自分が帰りたい街
前の記事から少し時間がたってしまった。
なんやかんや新しい仕事に慣れるまでに少し時間がかかり、ブログを書く余裕がなかったように思える。
そんな中で少し時間ができたので京都に帰ってみた。
二年ほど住んだ京都はとても居心地が良かった。金曜の23時頃に京都駅についた。八条口を出たときに安堵した自分がいた。
その後行きつけの居酒屋に行った。閉店時間は過ぎていたが店主は快く入れてくれた。新幹線に飛び乗った時に急に連絡したにもかかわらず、居酒屋に到着すると常連の女友達が待っていてくれた。
久しぶりに会ったこともあり1杯で帰るつもりが気がつけば深酒になっていた。
彼女はひどく酔ってしまったようで、店主と二人で彼女を家まで送った。
楽しい夜だった。
やはり京都は地元だ。今も楽しくやってはいるが、東京はやはりなんだか忙しい街だ。
今の会社で使命を全うしたらもう一度京都に戻ろうと思っている。
そんな数年後を楽しみに私は東京で走り切ろうと思う。
【雑記帳】大したことは書いていない
ふと思ったこと。
私は学者になりたかった。学問に純粋な興味があったし、ファクトとロジックを積み上げた先に構築された理論に美しさを感じていた。
でも私は今普通に働いている。私は学者にならなかった。というよりなれなかった。
修士課程の頃に論文も書いたし、学会もたくさん出た。それでも私は学者になれなかった。
それは修士課程で人と勝負していくなかで指導教官に勝てるイメージが湧かなかったからだ。
きっと人に勝つとか負けるとか思った段階でアカデミックな世界は向いていない。
それでも私は今、もう一度大学院に行きたいと思っている。
私は学問をある程度理解するには修士課程くらいは経験する必要があると思う。
逆に修士課程さえ経験していない教員に人を指導することできるのかと感じる
学問を学ぶということは狭い分野に絞っても一生かかる
そのことに一生を捧げる覚悟ができない私がいるが、それでもなんとなく人生は進んでいく。
そうやって私は自分の墓にむかって歩いて行くのだと思う
酔っているので好きにしたい
考え方や環境は人の考えは変わる
というより、人間はやっぱり周りの環境の中で規定されていくと思う。
私は根無草だ。山梨で生まれ大阪で学生生活を過ごし、東京で働いた。
その後なんとなく京都で働いた。京都で働いた理由は単純で京都が好きだったからだ。
一生を京都で過ごそうと思っていたし、実際今もそうしたい自分がいる
京都にいた時、自分が自分じゃないような感じだった
実際昔のように無茶苦茶な働き方をすることはなかったし、捨て身のように酒を飲むこともなかった
今の会社に入ってから二週間がたった。京都の会社はやめた。私は昔、本当に遊び人だった。毎週のように飲み行き、二十代で1000万近い給料をもらいながらお金がないような人間であった
京都行ってからは飲み行く機会が減り、むしろ友人の家に呼ばれる機会が増えた。
もちろん仲が良い友人だ。私は京都に来る前に人間関係をほとんど捨てた。実際今東京に戻ってきたが私が東京に来たことをほとんどの人が知らない
私は京都にいたときに30代の最初を過ごした。飲みに行く機会も減り、家でゆっくり過ごすことが多くなった。私は自分という人間の本質に辿り着いたと思った。
私という人間自身は実はゆっくりしたい人間で落ち着いた人生を歩むのが私の生き方だと思っていた。
でもそれは違った。
私はそれから色々あって東京に戻った。東京に戻る直前に初めて真剣におつきあいした人がいたが彼女との関係は終わった。それは仕方がない話だし、結果論だが結婚しなくてよかった。
私は彼女と結婚前提に付き合ってくださいと言った。
でも、今の生活は私が彼女に約束したものと違う。むしろ結婚しなくてよかった。私があの時あの人に約束した未来は、私にはあの人に提供することはできない。
思うに人間は他者との関係の中で規定される
私は京都にいた時に、その中の人間関係で自分が規定されていた。
前職で東京にいたときも、私は人間関係の中で規定されていることに気がつかなった。
今私は再び東京に住んで小さいスタートアップで働いている。その人間関係の中で自分はやはり昔のように戻った
仕事についても昔のような働き方に戻っている
結局は人間は他者との関係の中で規定される
そんなことを思いながら私は今も酒を飲みさえない頭を心配している
酔っていると論理が通る文章は書けないと思いながら私は今なんとなく文章を書いている(誤字脱字をお許しくだい)
引っ越し完了
引っ越し作業が大体終わった。
結構いろいろ買い替えたし、もう少ししたらテーブルや冷蔵庫も届く。
買い換えたいものは他にもあるが、一旦生活ができるレベルにはなった気がする。
一点誤算だったのは台所で使う棚が届くのが11月中旬ということだ。
今うちの台所では炊飯器が床の上に置いてある。
【読書感想文】不可能を可能にせよ! NETFLIX 成功の流儀
私はNetflixのヘビーユーザーだ。一人のサブスクライバーにしかすぎないが、Netflixという組織自体にも強い興味があった。
そんな思いから買ってはみたものの、ずっと積読していた。
今回転職するに際してかなりの時間ができたのでようやく読む事ができた。
ネタバレするような事はなるべく書かない。あくまで私の感想にとどめようと思う。
これはネットフリックス創業者のマーク・ランドルフ氏がNetflixを立ち上げる少し前〜IPO・株の売却・ネットフリックスを退職するまでのストーリーだ。
Netflixの過激というまでに独特な社風が築き上げられていく過程は臨場感があり非常に読み応えがある。
ただ、私が強く感銘を受けたのは実は上記の部分ではない。もちろん非常に面白い話ではあるがそれはあくまでNetflixの話なのだ。
スタートアップへの参画や大企業に入社する。つまり、組織に属して働くということについて今まで深く考えることは無かった。ただ、組織に属して働くということは当たり前だが組織からの期待に応えることが重要だ。
組織からの期待というのは会社のフェーズや状況によって大きく異なる。会社が未熟で強い組織を作る場合、成熟した組織をうまく回すというは当たり前であるが全く異なる。
スタートアップに参画するというのは会社環境が目まぐるしく変わるであろう状況でその瞬間に会社に求められることを完璧に実行することを意味する。そして求められる期待はとてつもなく早いスピードで変わる。
ランドルフ氏自身もネットフリックスの創業者でありながら、資金調達を強化するフェーズでリード・ヘイスティング氏にCEOの座を渡し最終的には取締役会をおりて一般社員として働いた後に会社を去った。
それは創業期に必要だったランドルフ氏の能力が組織の成熟・フェーズの変化とともに少しずつ不必要なものになっていったからだろう。(最終的には自分で退職しているので完全に無能だからクビとかそんな話ではない)
私は今まで所謂日系の大企業で働いてきた。もちろん会社によって異なる点は大きいが現状維持することで収益が得られ続ける強力なビジネスモデルがあるし、何かをするときの仕組みは完全に整っている。であれば求められるのはその仕組みを使って効率的に業務をこなす人間だ。
かたやスタートアップではどうか。私のポジションは大まかなJDはあるものの自分の職務は自分で規定するし、組織もこれから作り上げなければならない。
今求められるのは新しいものを0から創造する力だ。ただ、数年後に控えた上場を経験したのち求められる能力はきっと変わってくるであろう。その際に変化に適応可能であればそこからも貢献できるかもしれないが、もし会社のフェーズと自分の能力発揮がミスマッチなれば、それは私が会社を去る時だということだ。
こう思うとここから五年くらいが私のキャリアの大きな分岐点になるのだと思う。スタートアップに移るという選択を正解にする人生の主役は自分でありたい。
最近よく昔を思い出すので、、、
今日はこちらの記事で少し話をしたなっちゃんのおばさんの思い出を書いていこうと思う。
おばさんに関する話は実はたくさんある。そんな中で一つ、おばさんの人間性がよく垣間見える話をしようと思う。
おばさんの占いは本当にあたる。おばさんが言うには、おばさん本人に未来が見えたりする力があるわけではないらしい。
おばさんは占いをするときに石を使う。この石に関する話も非常に興味深いのだが、これはまた別の記事で話そうと思う。
この石はいかにもな占師が使うような仰々しい水晶などではない。本当に普通の石だ。おばさんはこの石を通して仏様とお話をするらしい。そして仏様の答えによって石の重さが変わると言っていた。
おばさんはありとあらゆることに答えてくれる。それこそ、恋愛事情から人の生き死にに関わることまで。
ある時私の母親がなっちゃんのおばさんのところに行った。おばさんは一つ前の順番の人を占っていた。おばさんは自分の家の居間で占いをする。待合室などあるわけでもなく、前の人が相談している内容も普通に聞こえてしまう。
その日、私の母の前で占いをしていた人は人を探しに来ていたようだ。おばさんは「生きているから安心して探しなさい」とアドバイスをしていた。
前の人が帰って行ったあと、母の番が回ってきた。母の番が回ってきた時、おばさんは言った。
「前の人の前では生きてるって言ったけどな、多分あの人は亡くなっている」
おばさんはこのように言った理由も説明してくれた。
「俺(私の地元では年配の女性は自分の事をオレという)の言葉で希望を失わせても一つも良いことはない。であれば占いを外した自分が悪者になればそれで良い」
おばさんの占いは本当にあたる。本当に力があるのだと思う。そしておばさんには力のある者の振る舞いに関して自分なりの哲学があったのだと思う。
おばさんは10年以上前に亡くなってしまった。
日本のどこかに、おばさんのような方はいるのだろうか、、、
私の夢を叶えてくれた部屋の中で
引っ越しの準備が大体終わった。
梱包した荷物は午前中に引っ越し業者さんが搬出した。京都東京間の引っ越しだが10万を切っていた。良い時代になったものだ。その後昼食を摂り一度ホテルにチェックインしてから部屋に戻り、引っ越しで出た粗大ゴミの搬出業者を待っている。
今私がいる部屋には大きめのスーツケースが無造作に広げてあり、その後ろに小ぶりなリュックサックが一つ置いてある。
思えば二年前に京都に来た最初の日、同じ荷物を持って何もない部屋に入った。
部屋に入ってすぐにとりあえずスーツケースを広げ母のアドバイスで持って生きてたクイックルワイパーで床掃除をし、引っ越し業者が来るまでの間一人で銭湯で過ごしていた。
引っ越し業者が来てからすぐに荷解きを行なった。概ね荷解きが完了したときに京都に住む友人から連絡があり木屋町に繰り出した。
夜行バスで到着して一日で荷解きを行なったこともありとても疲れており、ひどく酔ってしまった。
あれから二年弱、この部屋で過ごした。広い部屋だとは分かっていたが荷物がなくなった部屋はその広さがさらに強調されていた。窓を開け放つと驚くほど風通しが良いことに気がついた。
二年間、それなりにゆったり過ごしたはずなのに自然の風をここまでゆっくりと感じたのはいつぶりであろうか。
何もなくなり閑散としている部屋でそんな事を思いながら、私は明日東京へと向かう。