大きめの独り言

わたしの脳みそのはしっこです

酔っているので好きにしたい

考え方や環境は人の考えは変わる

というより、人間はやっぱり周りの環境の中で規定されていくと思う。

 

私は根無草だ。山梨で生まれ大阪で学生生活を過ごし、東京で働いた。

その後なんとなく京都で働いた。京都で働いた理由は単純で京都が好きだったからだ。

一生を京都で過ごそうと思っていたし、実際今もそうしたい自分がいる

京都にいた時、自分が自分じゃないような感じだった

実際昔のように無茶苦茶な働き方をすることはなかったし、捨て身のように酒を飲むこともなかった

 

今の会社に入ってから二週間がたった。京都の会社はやめた。私は昔、本当に遊び人だった。毎週のように飲み行き、二十代で1000万近い給料をもらいながらお金がないような人間であった

京都行ってからは飲み行く機会が減り、むしろ友人の家に呼ばれる機会が増えた。

もちろん仲が良い友人だ。私は京都に来る前に人間関係をほとんど捨てた。実際今東京に戻ってきたが私が東京に来たことをほとんどの人が知らない

 

私は京都にいたときに30代の最初を過ごした。飲みに行く機会も減り、家でゆっくり過ごすことが多くなった。私は自分という人間の本質に辿り着いたと思った。

私という人間自身は実はゆっくりしたい人間で落ち着いた人生を歩むのが私の生き方だと思っていた。

でもそれは違った。

私はそれから色々あって東京に戻った。東京に戻る直前に初めて真剣におつきあいした人がいたが彼女との関係は終わった。それは仕方がない話だし、結果論だが結婚しなくてよかった。

私は彼女と結婚前提に付き合ってくださいと言った。

でも、今の生活は私が彼女に約束したものと違う。むしろ結婚しなくてよかった。私があの時あの人に約束した未来は、私にはあの人に提供することはできない。

思うに人間は他者との関係の中で規定される

 

私は京都にいた時に、その中の人間関係で自分が規定されていた。

前職で東京にいたときも、私は人間関係の中で規定されていることに気がつかなった。

 

今私は再び東京に住んで小さいスタートアップで働いている。その人間関係の中で自分はやはり昔のように戻った

 

仕事についても昔のような働き方に戻っている

結局は人間は他者との関係の中で規定される

 

そんなことを思いながら私は今も酒を飲みさえない頭を心配している

 

酔っていると論理が通る文章は書けないと思いながら私は今なんとなく文章を書いている(誤字脱字をお許しくだい)